モリを片手に命をいただく─オーストラリアの人々はなぜ海に潜りはじめたのか | クーリエ・ジャポン

海中で何を考えていたのだろう──シアマンにたずねてみたら、彼女は答えた。

「実は何も考えていません。あれこれと頭の中で考えたり、具体的に自分のしたいことを考えたりするランニングとは違います。ただそこにいるだけなのです」

陸では先行き不透明の今、彼女のこの言葉だけでも、多くの人が海に惹きつけられるだろう。
— 読み進める courrier.jp/news/archives/210149/

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です